投稿日:2021年02月07日(日)
冒険力
「Those who dare to fail miserably can achieve greatly.」
アメリカ歴代大統領 ジョン・F・ケネディーの格言です。
行動経済学によるものなのでしょうか。
「損失回避」の力が作用して、現状維持バイアスが働いてしまうのは、人間にとって、当たり前に近い感覚なのだと思っております。
「損得勘定」で動いてしまうことが、根本的な問題であると考えております。
「失敗すること」は、「損」以外の何ものでもないと考えてしまうのでしょう。
皆、目先のことだけを考えると、やはり「損」ではなく、「得」を求めてしまいます。
他人との「競争」による勝ち負けも、損得と考えてしまいます。
「惨めなまでに失敗」は、「損」なのか、「得」なのか。
最近、そんなことを考えたりしておりますが。。。
人間社会で生きていると、あらゆるところで、「比較」をしてしまう。
その比較のほとんどが、他人とのもの。
「長いものに巻かれる」のは、周りを意識しての行動である解釈すると、他人との「比較」から起こる事象ではないだろうか。
そもそも、何が「得」で、何が「損」なのだろうか。
最近、思うことがある。
「損得勘定で動く人たちとの接点」があること自体が、「損」なのではないだろうか。
そのような人たちとの接点により、目先の損得に右往左往させられてしまうことが、少なからずある。
そのような場合、目先の損得により、成功、失敗を計ってしまう。
そのような行為は、長い目で見ると、俯瞰してみると、「失敗」と解釈せざるを得ないような気がする。
「惨めなまでの失敗」は、「成功」であると考えている。
その失敗から、学べることが、相当数存在している。
それらの学べることに気付くことができれば、「成功」と考えて良いと思う。
「人間万事塞翁が馬」
一言でまとめるのは、少し乱暴な気はするが、スッキリはする。
今、自分がやっていることを見つめてみる。
「惨めなまでに失敗する勇気」をもって、取り組めているのだろうか。
失敗を回避しようとする力が、働いているのではないだろうか。
成功なのか失敗なのかは、考えていない。
「今やるべきことをやることにより、何を得ることができるのだろう。」
必ず、プラスになる何かが存在している。
それだけを考えて、事に取り組むようにしている。
余計なことを考えると、「惨めなまでの失敗」を恐れるだけなのだと感じている。
この格言により、偉大なことを成し遂げることが可能かどうか以前の問題として、「失敗する勇気」を養っていかなければと思わされた。
(惨めなまでに失敗する勇気がある人こそ、偉大なことを成し遂げる。)
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