我々は、自らが熟考しているものになる

投稿日:2021年04月03日(土)

創造力




「我々は、自らが熟考しているものになる。」

古代ギリシャの哲学者 プラトンの格言です。

 

人は皆、自分自身で限界を創り出しております。

意識して創り出しているというよりも、環境などの外的な影響を受けたりなど、知らず知らずのうちに創り出されているような気がします。

 

偉人と呼ばれるような方々の話になると、「別世界の人」という括り方で、自分とは違うという解釈で落ち着かせてしまいます。

自分自身が作り出している「限界」が、「自分の世界」と「別の世界」の境界線となっているのではないでしょうか。

 

「自らが熟考しているもの」が、「限界」という枠の中のものであれば、それなりのものになってしまうような気がしおります。

「熟考」する前に、「限界」を壊す必要があるのではないと感じておりますが。。。

 

「世の中はこうだから。。。」

「常識的に考えて。。。」

誰がどのような理由で決めたのかすら、わかり得ない「世の中の常識」は、とても厄介である。

 

ある程度、その常識に則って進めて行かなければいけないことは、沢山ある。

それでも、その「常識」と呼ばれる枠の中で物事を考えると、見えないこと、わからないことがある。

「常識だから」を理由に思考が停止すると、見える筈のものが見えず、わかる筈のことがわからず終わってしまう。

終わった地点が、「限界」なのではないだろうか。

 

「承認欲求」

人間は、例外なく、この欲求があると確信している。

他人に認められたいという気持ちが、「限界」を創り出している側面もあるように思う。

 

色々なことを考えるとき、「限界」があると実感することがる。

あくまでも、自分で創り出している「限界」でしかない。

 

故に、まずは、自分が創り出している「限界」を知る必要がある。

どんなところで、思考が止まるのだろう。

どの段階まで、思考がスムーズに進むのだろう。

そんなことを意識してると、何となくでも、自分が考える「限界」が見えてきたりする。

 

「限界」は、必ず「ブレーキ」として作用する。

良い結果を導くとは言い難い。

 

自分の限界を広げたとしても、他人にブレーキを踏まれることもある。

「そんなの無理でしょう。」

「本気で言ってるの?」

そんなニュアンスのリアクションが、「限界」を創り出す要素として作用する。

 

「限界」を捨てて、熟考してみる。

熟考して得たイメージが、「自らが熟考しているもの」なのだと確信している。

 

この名言により、まだまだ「限界」を創り出している自分を憂いながら、熟考したものを目指し続けて行こうと思わされた。

 



コメントを送信する


※すべて必須事項です

記事タイトル:
氏名*:
メールアドレス*:(半角英数)
コメント*:

記事検索
書籍紹介
最近の投稿記事
  • 理をもって接する 理をもって戦う

    投稿日:2020年10月10日(土)

    【 自己分析のための過去回帰。「進むべく未来」の先にある「約束の地」へ・・・ 】   「「仕事ができる」とは、どういうことか?」 というタイトルの著書が、昨年、話題になりました。   「スキルのデフレ […]


    本文を読む

  • 夢物語

    投稿日:2020年06月08日(月)

    まずは、「実現可能」であると信じてみませんか?   私たちは、変化の激しい時代を生きています。 自然の猛威や争いや・・・ 予期せぬ出来事に右往左往してしまうこともあります。   そのようなとき、「この […]


    本文を読む

  • 財布

    投稿日:2020年07月06日(月)

    財布の中身を整理しました。 半年以上使っていないポイントカード、割引券などは、処分しました。 銀行口座も、ほとんど使用していない口座は、解約する予定です。 何となく入れていたドル札も、これを機に財布から出しました。 &n […]


    本文を読む