人の行く裏に道あり花の山

投稿日:2020年08月26日(水)

冒険力




「天邪鬼」という単語が正しいのでしょうか。

違うと考えておりますが、もしかしたら、そう解釈されてしまうのかもしれません。

「赤信号、みんなで渡れば怖くない」

が正しいのであれば、「天邪鬼」なのかもしれません。

 

「信号の色に関わらず、みんなで渡らなければならない。」

なのだろうか?

グループに属していることが当たり前と考える人たちにとっては、みんなで渡るのは、当たり前なのでしょう。

 

「本当にそうなのだろうか?」

「でも、そんな感じだなぁ。。。」

「だとしたら、そうしなければいけないのかなぁ。。。」

スッキリしない気持ちで、無理矢理そのようなスタンスで過ごしてきた頃のことを思い出しました。

 

「やっぱり違った。人の行く裏に道はあるんだ。」

そう思えるようになり、スッキリした気持ちで毎日を過ごすことができておりますが。。。

 

人間、生まれた瞬間から、何もかもが違う。

「個性」という単語で片付けるには、簡単すぎるくらいの違いがある。

世の中の「平等」という錦の御旗が、「個性」を良しとしなかったのだろうか。

 

少なくとも、そのような風が吹く中で生きていると、「違い」があることをコンプレックスのように感じてしまうことがある。

「個性」以前の問題のような気がする。

 

お陰様で、僕は比較的恵まれた環境で育った。

多分、「普通」ではなかったのだと思う。

「普通」に抵抗がありながら、「普通」を装って生きていたころもある。

 

よって、「普通」ではない要素を隠して生きてきた。

「普通」でいたかったのか、目立ちたくなかったのか、いずれにしても「普通」を演じていた。

今考えると、血の気が引く行為だった。

 

「普通」を装いながらも、どうしても出来ないことがあった。

「群れる」という作業。

今となっては、それで良かったと思う。

そうじゃなければ、「朱に交われば赤くなる」のがオチだっただろう。

 

お陰様で、一人で考える時間に恵まれた。

スッキリしない中、数々の名言に触れる機会を得た。

 

「群集心理を避けよ」

「競争するな独占せよ」

「人生は人の夢を生きるには短すぎる」

名言の数々が、道標となり、別の道へ導いてくれた。

「人の行く裏の道」へ導いてくれた。

今までの愚行を憂いながら、スッキリした気持ちで、「裏の道」を進む決意を固めた。

 

「光陰人を待たず。」

どの道を行くにしても、すぐに行かなければならない。

花の山が、散らぬ間に行かなければならない。

 

少しのんびりな所があることは、自分自身、自覚している。

スピーディーな対応が求められていることを理解している。

 

「人の行く裏の道」を行くことに躊躇がなくなった今、「散らぬ間に行け」に焦点を充てている。

 



コメントを送信する


※すべて必須事項です

記事タイトル:
氏名*:
メールアドレス*:(半角英数)
コメント*:

記事検索
書籍紹介
最近の投稿記事
  • 人間は起こることより・・・

    投稿日:2021年03月18日(木)

    「人間は起こることよりも、起こることに対する見解によって、ひどく傷ついてしまう。」 フランスの哲学者 ミシェル・ド・モンテーニュの名言です。   生きる過程を4つに分ける話を聞いたことがあります。 「誕生」「成 […]


    本文を読む

  • 定点観測

    投稿日:2020年02月23日(日)

    昔行って印象に残っている場所、何か大きな出来事があった思い出の場所に行ってみたくなることがあります。   「そういえば、この近くで昔・・・」 「あの時、ここでこんなことがあったなぁ。。。」 などと思い出しながら […]


    本文を読む

  • 天体の運動はいくらでも・・・

    投稿日:2020年11月24日(火)

    「天体の運動はいくらでも計算できるが、人の気持ちはとても計算できない。」 イングランドの哲学者 ニュートンの格言です。   ビックデータ、AIなど台頭により、色々なものを容易に計算できるようになりました。 理屈 […]


    本文を読む