投稿日:2020年10月01日(木)
創造力
【 自己分析のための過去回帰。「進むべく未来」の先にある「約束の地」へ・・・ 】
昨年受講した「聞く力」を養うためのセミナーのことを思い出しました。
「都度確認を取りながら、お互いの見解を一致させる形で会話を進めて行く。」
と要約できるように思いました。
確認を取ることで、相手に「安心感」を与えることが可能になります。
「人の話を聞く。」
単純で誰にでもできるように思いますが、簡単なことではないようです。
実際、僕自身、人の話をしっかりと訊けているか、聞けているか、聴けているか、利けているか、不安な面が多々あります。
良くあるパターンは、自分の話を相手が理解しているだろう。と考えてしまうこと。
低くない確率で、誤解を生じさせていることがあるように思いますが。。。
「暗黙の了解」
親しい仲であれば、機能するのかもしれない。
「阿吽の呼吸」までいくと、一朝一夕で築き上げることは、簡単にはいかない。
相互理解を求めるとき、各々の「常識」のようなものが邪魔をするのかもしれない。
各々の「常識」が同じであれば、相互理解は難しくないと感じている。
生まれた場所、育った環境、受けた教育、、、諸々に違いがあれば、「常識」のような考えに違いが生じるのは、当たり前のことだろう。
人間は、概ね、一般的に、できるだけ、自分と同じような価値観の人と接することを望んでいる。
その方が、居心地が良く、楽だからだと思う。
面倒な説明を必要としない関係は、理想的かもしれない。
そのような理想的な関係に至るまで道程は、容易ではない。
そこへ至るまでに大切なやり取りがある。
自分の中でイメージしていることを伝えるとき。
自分の中で結論を定めていることを伝えるとき。
自分の中では、ストーリーが出来上がっている。
が、相手は違う。
このイメージを順序良く伝えて行かなければならない。
途中、正しく伝わらないこと、誤解が生じることもあり得る。
方向を修正しながら、結論に導いていく。
その結論は、必ずしも相手がイメージしているものではない場合がある。
その時は、その時なのだろう。
いずれにしても、相手ありきで話を進めることができているか。
それを問うようにしている。
少しでも自分本位になってしまうと、伝わることも伝わらなくなるのではないのだろうか。
ある出来事から、そんなことを考えさせられた。
甘酸っぱい出来事から、悲喜交々を味わい、そんなことを考えさせられた。
「相手が、自分の話を理解してくれていることを確認する作業を怠ってはいけない。」
そのように理解しなければいけないことを確認できる出来事だった。