いかなる問題も、それをつくりだした・・・

投稿日:2020年10月18日(日)

分解力




【 自己分析のための過去回帰。「進むべく未来」の先にある「約束の地」へ・・・ 】

 

「いかなる問題も、それをつくりだした同じ意識によって解決することはできません。」

物理学者アインシュタインの格言です。

 

この格言を目にしたとき、すんなりと受け入れることができたような気がしております。

目先のことで悩んで、悩んで、悩んで、、、結局、結論が出ないことが多々ありますが、同じアプローチで解決を試みても、結論が出る訳がないことに気付けず。。。

 

そんなとき、ものの見方を変える必然性を感じます。

問題を俯瞰して見るなど、アプローチを変えなければいけないのですが、余裕がないときほど、それができないものなのかもしれません。

 

直感での解決が可能になるくらいの感性を求めているのですが。。。

 

自分の思考方法には、良くも悪くも「癖」のような型があるような気がする。

少し前までは、「自分が悪くないと思いたい」という前提に重きを置いていた気がする。

お陰様で、最近は少し変化してきているように感じる。

 

「万象全て己の責任」

この考え方を受け入れることができるようになったからだと思う。

 

自分の責任として考えると、新しいことに巡り合う機会になったりもする。

他人事として捉えることで、折角の学びの機会を損失してしまうような気がしている。

 

最近、本当に色々なことに気付かされている。

色々な問題に直面しているからなのだと思う。

「色々な問題」とは、必ずしも良いことばかりではないが、全てを良いこととして捉えることができるようになった気がする。

 

「君子危うきに近寄らず」

自分が「君子」ではないにも関わらず、危うきを避けてきた。

「危うき」を避ける感覚は、少なからず磨かれていたのだろうか。。。

 

そうではないことは、明らかである。

ただ、単純に「面倒なこと」を避ける感覚だったように思う。

 

考えてみたら、今に至るまで、「面倒なこと」のオンパレードだった。

その理由を単純化することにより、今は全く違った捉え方ができるようになった。

 

悩んだり、落ち込んだりしたとき、

「ぐっすり寝ることで、解決できる。」

というような話を耳にすることがある。

確かに、余計なことを考える時間があれば、睡眠を取った方が、時間の有効活用になると思う。

 

昔は、よく喧嘩をしていた。

口論という喧嘩ではあるが、今考えると、かなりの醜態としか捉えようがないのは、恥ずかしい限りだ。

 

色々な考え方、捉え方、ものの見方がある。

が、自分の中のそれらが、画一的にならないように気を付けなければならないと思わされる。

 

画一的な捉え方を続ける限り、

「いかなる問題も、解決することはできない。」

のだという確信を得ることができた。

 



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