投稿日:2020年12月02日(水)
戦闘力
「今いるところで、今持っているもので、あなたが出来ることをやりなさい。」
アメリカの歴代大統領 セオドア・ルーズベルトの格言です。
他人との比較により、今いる場所、今持っているものに満足できないのは、人間の性なのでしょうか。
比較さえしなければ。。。と思いながらも、無意識に比較をし、一喜一憂しながらの時間を過ごしてしまうものなのでしょうか。
「隣の芝生は青く見える」
他人と比較した瞬間、他人が、自分より勝って見えてしまうものです。
「ないものねだり」を含めて、理想を求めてしまう傾向にあるように感じます。
他人と比較することによる良し悪しは、両方存在し得るものだと感じております。
全てを「良し」と考えられるようにするための作業は、結構、難儀なことなのかもしれません。
自分のスタンスをしっかりと確立することができれば・・・と思わされる毎日ですが。。。
「銀のスプーンをくわえて生まれる」
「天は二物を与える」
「○○の申し子」
選ばれた人は、生まれた瞬間から、何かが違っていると思い込んできた。
生まれた瞬間に、全てが決まっていると確信していた。
選ばれた人か否か。
自分は、どちら側の人間かを考えたとき、結論を出すまでに費やした時間は、短かった。
自分は、選ばれてはいない。
故に、それ相応の人生なのだと諦めなければいけないという自覚はあった。
諦めたくないという気持ちで、あがいていた時期もあったが、「諦めた方が良い。」と思うようになっていた。
「トンビが鷹を生む」のであれば、逆もあり得るのでは?
「三つ子の魂百まで」なのであれば、もう無理なのか?
いずれにしても、DNAによって、全てが決まると確信していた。
自分自身の力では、どうしようもないこととして諦める方向へ進み続けていた。
自分の一番欠けている能力は、「普通」の人に合わせて、「普通」を演じる能力だと思っていた。
選ばれた人であれば、この能力は、生まれながらにして備わっていると信じていた。
備わっていない自分自身を「無能」とさえ思っていた。
「青天の霹靂」
DNAが全てを決めるわけではないことを知った。
選ばれた人間など、この世に存在しないことを知った。
確信していたこととは違うことを知ったとき、
「今まで何をしていたのだろう。。。」
そんな虚無感のような感覚だった。
その後、「普通」を演じる能力は、必要ないという結論に至った。
周りに合わせる必要がないのだと、達観できるようになった。
お陰様で、他人との比較は、時間の無駄であることに気付くことができた。
今、この瞬間に集中することだけを考えることができれば、
「今いるところで、今持っているもので、自分の出来ること」に集中できるようになった。
今考えると、余計なことを考え過ぎていただけなのかもしれない。