投稿日:2020年12月17日(木)
冒険力
「自分を破壊する一歩手前の負荷が、自分を強くしてくれる。」
ドイツの哲学者 ニーチェの格言です。
久しぶりに格言に触れる時間に恵まれました。
格言を通して、その日一日の出来事、昔起こった出来事などを振り返るようにしておりましたが、最近は、ご無沙汰しておりました。
その時々のタイミングにより、目や耳に入るもの、入ってくるものが違うという実感があります。
意識の有無に関わらず、自分自身が受け取る情報は、絶好のタイミングで訪れるものと考えるようにしております。
よって、仮に興味がないことだとしても、「何か関係があるかもしれない。」という気持ちで、拾いに行こうとしている気がします。
少なくとも、何かの迷いのようなものがあるときほど、心の声が、進むべく方向を教えてくれているような気がしておりますが。。。
「痛みを伴う構造改革」
一昔前流行語となった。
人は皆、痛みを伴わない改革を求めるのだろう。
「死ぬことなく天国に行きたい」という感覚に似ているような気がする。
「改革」を「変化を求めること」と解釈すると、必ず痛みが伴う。
それまでの習慣を変えて、新たな習慣を身に付けるためには、一筋縄ではいかないことが多い。
これは、ある意味「痛み」なのだと思う。
逆に考えると、「痛みを伴っている」とう実感は、「改革」の方向へ「着実に進んでいる証拠」であると考えている。
ここ最近、痛みを伴う出来事に直面する機会が多い。
新しいことを始める際は、必ず痛みを伴う。
その痛みが、快感になってきているのも、やぶさかではないように思っている。
今年一年、色々なことが起こった。
悲喜交々、諸々が起こった。
少し前までは、不安、恐怖により、一歩を踏み出せなかったようなことが、今では普通のこととして捉えれている気がする。
良くも悪くも、色々なことが起こる度に、色々なことを考えさせられた。
途中、何かが起こっても、考える余裕もなく、直感により、次のアクションを起こしていたこともあったような気がする。
振り返れば振り返るほど、その時々の自分自身の愚行を恥ずかしく感じてしまう。
恥ずかしく感じていることは、良いことなのだろうか。
少しだけも、自分を強くしてくれた「負荷」を体感してきたということなのだろうか。
ここは、ポジティブに考えることにしよう。
去年の今ころよりも、幾つかの「自分を破壊する一歩手前の負荷」により、少しだけ強くなったのだと考えることにしよう。
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