北の都

投稿日:2019年12月16日(月)

分解力




日本に戻ることが決まり、準備を開始。

2004年12月に一度札幌に戻り、両親にもその旨伝えました。

東京の知人や親戚にもお会いしていただき、今後のことを相談したりもしました。

 

頭の中では、「現在のアメリカに至るまで、日本では5年ほどの時間が必要。」と考えておりましたので、今後のイメージを話たところで、しっかりと伝わるわけがない、、、と今になって思うことです。

 

一応、「ホームページ」という単語は、市民権を得るまでになっておりました。しかし、僕自身はデザイナーではなく、ホームページ制作を生業にするつもりもありませんでした。

 

不本意ながら、ホームページ制作やエクセルファイルの作成を行っておりました。

「そのうち、わかる人に出会えるだろう。。」と漠然とした素敵な出会いを待っていたように思います。

 

知人の紹介などで、色々な方々にお会いする機会に恵まれました。

自分では、全く意識しておりませんでしたが、「アメリカ帰り」というブランドは、インパクトがあったようです。

 

あの頃の自分を分析すると、ないものばかりで残念な気持ちになります。

・利他の精神

・礼儀礼節

・コミュニケーション能力

・プレゼン能力

などですが、他にも沢山欠けていた点があります。

能力的な要素は、テクニックとして身に付けることができるので、根本となるスタンスに問題があったと反省しております。

 

自分が常識だと思っていたことが、全く通用しないことに気付き、苦しくなったことを覚えております。

簡潔に説明する上で有効な「ことわざ」や「四字熟語」などが全然伝わらず、「知っている方がおかしいのか。。。」と悩んだこともありました。

 

「今自分のいる世界が、普通の世界。自分が考えていること、思っていることは、間違っている。」

札幌に戻って間もなく、このような気持ちになりました。

「アメリカに戻るために、一度日本に戻る。」

野球場で抱いた気持ちが、徐々に薄れていくのを感じながら、悩んでいたことを、昨日のことのように感じております。

 

一応、漠然とはしていても、目標だけはありましたので、トライアンドエラーを繰り返しながら、もがいておりました。が、無意識のうちに、楽な方へ流れていった気がします。トライが減っていきましたので、必然的にエラーもなくなりました。「刺激」がなくなっていくのを実感しておりました。

 

決して大きな仕事ではありませんでしたが、色々な関係から仕事の話はありました。

徐々に徐々に、仕様通りにこなすだけの仕事をするようになってしまいました。

 

日本に戻ってから1年も経たずに、気持ちの変化を感じてしまいました。

今となっては、振り返ることすら恐ろしいのですが、「人生の棚卸」の一環として、少しずつまとめていこうと思います。

 



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