投稿日:2020年06月07日(日)
冒険力
「文章力」があるか否かは別の話として、僕は、文章を書くのが好きです。
例えば、ブログ記事を書いているときの集中力は、ハンパないと思ったりもします。
好きであるが故に、集中して文章を書いている自分を愛おしく感じております。
世の中、本当に色々な人がいます。
自分の書いた文章が誤解された時、
「そんなつもりではなかった。。。」
「それは、考え過ぎだよ。。。」
などと、誤解した相手を責めたりする人がいれば、誰一人、誤解のしようのない丁寧で、キレイで、しっかりした文章を書く人もいれば。
他にも色々な人がいるかと思います。
最近、文章に触れる機会は、メールのやり取りによるものがほとんどです。
SNSの記事でも触れますが、やはりビジネス上のやり取りとなるメールでの文章は、相手との関係を縮めも遠ざけもできる重要なものだと確信しております。
どうしても理解できないメールが増えてきた。
相手の立場を全く考えていないと感じさせる文章だからだと思う。
前からそうだっただろうかと思い、少し前を振り返ってみた。
今読み返してみると、どうしてこの文章に何の疑問を抱かなかったのだろうか。。。
と、少し前の自分を憂いてしまう。
ちょっとした言い回しや単語の使い方が、大きな違いを生む。
何の疑問もなく、文章を書いている人にはわかり得ないことだと思う。
悪気はないと言い訳するのであれば、自分自身のボキャブラリーの無さ、表現力の無さを憂うべきだと考える。
憂うのであれば、改善を試みる。
読書する、文章の上手い人に教えを乞う、言葉遣いの綺麗な人とお付き合いをする、文章を書いてみる、ボキャブラリーを増やす。。。
やること、やれることは、いくらでもある。
多分、改善を試みようとはしないのだろう。
多分、自分を憂うことがないからなのだろう。
知識一つとっても同じだと思う。
僕は、長い間、「知らなくて当然。」「知っている方がおかしい。」という世界に居た。
そんな世界に居る「自分」を憂いた。
憂いたことにより、改善を試みた。
お陰様で、多分、きっと、その世界からは抜け出せたと思う。
今いる世界は、「知っててすごい。」の世界なのだろうか。
次に目指すべく世界は、「知ってて当たり前。」の世界。
語彙力、表現力アップだけではなく、色々な「力」を身に付ける必要がある。
文章力も同様であるとの確信がある。
今、「相手に理解できる文章を書けない自分が悪い。」という世界に居る。
「ちゃんと理解しない相手が悪い。」という世界からは、抜け出すことができたと思っている。
この先、「「誰にでも理解できて、わかり易くて、丁寧で、キレイで、しっかりした文章」を書くのが当たり前」の世界を目指して、精進を続けて行く。
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