投稿日:2020年10月15日(木)
表顕力
【 自己分析のための過去回帰。「進むべく未来」の先にある「約束の地」へ・・・ 】
「年暮れぬ 笠きて草鞋 はきながら」
松尾芭蕉の句です。
「自分らしさ」で輝く。
という解釈が、書籍の中にありました。
偉人の方々の格言の中にも、「自分らしさ」を強調しているものが多々あります。
「自分らしさ」で輝けた結果、偉人として名を馳せたのかもしれません。
村八分、仲間外れにされていたからなのかは、わかりかねますが、幼少期より、一人でいることに全く抵抗がなく、一人の時間を楽しいと感じておりました。
先日、アメリカ時代からの友人と電話で話す機会がありました。
海外を経験した者同士の視点で、お互いの話をする機会になりました。
日本で生活する場合、「個性」のようなものを前面に出すことは、容易なことではないという実感があります。
「周りに合わせることができる」というスキルが必要とされているのではないでしょうか。。。
多感な時期の嫌な思い出を通して、「目立たないように・・・」というスタンスが確立された。
自意識の問題なのだろうか。
幼少期、親の職業が独り歩きをしていた時期、目立つことにとても敏感だった。
何か良いことをしても、褒められることはないが、何か悪いことをすると、必ず起こられる役だった。
「別に何もしてないよ!!」
と思っていても、何故か標的にされることもあった。
理由がわからなかったのだが、社会に出てから、あのころを振り返ると、親の職業が理由だったような気がする。
アメリカから戻ってからも同じだった。
大勢の中にいるだけなのに、標的にされるケースが多々あった。
大声で話している訳でもなく、挑発している訳でもない。
自分が、標的にされるケースとして捉えていただけなのだろうか。
「思い立ったが吉日」
用法が違うという自覚はある。
が、あるとき、一念発起を決意した。
「「普通」を装っていこう。そうすれば、目立たないだろう。」
慣れない普通を試みた。
「普通」じゃない人間が演じる「普通」は、どのように映っていたのだろう。
最近、そんなことに興味がある。
最初は違和感があっただろうが、慣れてからは・・・
という話ではなかった。
「普通」を演じることに疲れてしまった。
「普通」じゃない人間が演じる「普通」は、「普通」にはなり得ないという結論で試みを止めた。
改めて思い立った日を吉日と捉えた。
「誰が何を言おうと、気にしないことにしよう。」
気持ちが楽になった。
「今まで、何をしていたのだろう。。。」
という、今までの自分を残念にさえ感じた。
「年暮れぬ 笠きて草鞋 はきながら」
今年の暮れは、どのように過ごしているのだろうか。
特段変わることなく、自分自身の「普通」を楽しんでいるような気がする。
投稿日:2021年02月20日(土)
「釣れないときは、魚が考える時間を与えてくれたと思えばいい。」 アメリカの作家 ヘミングウェイの格言です。 何かを求めてアクションを起こしても、求めているものを得ることができない時間が長く続くように感じます […]
投稿日:2021年03月25日(木)
「You are what you do, not what you say you’ll do. 」 スイスの心理学者 カール・グスタフ・ユングの名言です。 巷間、「言行不一致」で溢れております。 感覚的 […]