投稿日:2020年10月29日(木)
分解力
「考え過ぎたことはすべて問題になる。」
ドイツの哲学者 ニーチェの格言です。
相変わらず、「左右の脳のバランス」を意識しながらの生活を続けております。
左脳だけで生きてきた感が否めないため、右脳の活性化が急務であるという結論から、そのような生活を始めました。
「それは、考え過ぎだと思う。」
「もっと感覚的に捉えて良いと思う。」
このような類のことを言われ続けてきました。
「考え過ぎ?あなたが、考えなさ過ぎなのでは?」
心の中でそんなことを思いながら、人と接してきたような気もします。
最近は、逆に、相手に対して「考え過ぎでは?」と感じてしまうことがあるくらいです。
時々、感覚的に生きている人が、理論的に説明しようとしながら、言葉を詰まらせてしまう場面に遭遇することがあります。
「難しく考える必要はないと思うけど。。。」
ひと昔前の自分には、全く想像できなかった「感覚」が、現在の自分に宿っているようで。。。
「専門家とは、難しいことを簡単に説明できる人。」
このような話を耳にしたことがある。
専門知識がない人に対しても、専門的なことを優しく説明できるという解釈をしている。
この場合、専門用語を使用せずに、説明する必要がある。
専門知識を並べて、自分を大きく見せようとする人が多いように思う。
「自分は、例外である。」と断言できないことは、残念な限りだ。
専門用語の使用を回避するために、例え話を活用する人がいる。
理解し易く、気持ちが良い。
参考にすべく要素を沢山いただける機会となる。
「もう少し、わかり易く説明する方法はないだろうか。。。」
時々そんなことを考えては、結論が出ないまま、ペンディング事項となる。
やがてそれが、問題になる。
全ては、「考え過ぎた」ことから始まっているのだが、そのことに気付けない場合が多い。
考えることによって導かれるのは、ネガティブな事象のみであると思う。
考えれば考えるほど、問題となる要素が、湧き上がってくる。
それらの問題により、何らアクションを起こせないという結論に至る。
「考え過ぎたことはすべて問題になる。」
反論の余地がない。
反論するために考え過ぎるつもりもない。
「考え過ぎることによって起こる問題を、考え過ぎることによって解決するために考え過ぎてみよう。」
とは考えていなくても、そのようなことを無意識に行っていたような気がする。
笑止千万でしかない。
最近は、余計なことを考える暇があるならば、他にやるべきことがあると思っている。
まずは、アクションを起こす。
そこで感じることを踏まえて、別のアクションを起こす。
お陰様で、余計なことさえ考えなければ、問題は起こらないことを実感できている。