投稿日:2021年04月11日(日)
分解力
「天体の運動はいくらでも計算できるが、人の気持ちはとても計算できない。」
イングランドの哲学者 ニュートンの格言です。
中学校時代、好きな教科は、「数学」でした。
「答えが一つしかない」ことが、好きな理由だったと記憶しております。
公式を覚えていれば、ある程度の計算は難なく解くことができました。
微分・積分などは、必ずしも公式だけで解ける訳ではありませんが、答えが一つというのは、比較的取り組み易いと感じていたような気がします。
最近は、「答えが一つ」であることに面白みを感じなくなってしまいました。
沢山ある答えの中から、どれを選択するのか。
「選択する楽しさ」を覚えてしまったような気がしております。
ほとんどの人は、自分の中にある気持ちを「唯一の解」として持ち続けているような気がしておりますが。。。
「多様性」がトレンドとなっている。
働き方改革、副業解禁も、「多様性」を受け入れる意味合いで解釈ができるような気がする。
「十人十色」
人それぞれ違う。
考え方も色々ある筈なのに、今まで、画一的な常識の中で生きてきた感は否めない。
「画一性」に対する抵抗が、「多様性社会」を加速させてきたのかもしれない。
色々な考えがあるが故、人の気持ちを「計算」しようとすることは、愚行である。
マスとして考えたとしても、「計算」ができるものであるとは思えない。
いずれにしても、色々な考え方を色々な受け止め方で、理解しようとする以外に方法がないのかもしれない。
人の気持ちは、「計算」できない。
が、人の気持ちを「公式」に当てはめることは可能であると確信している。
公式には2つある。
「利他」と「利己」のどちらかである。
どのようなことを考えるにしても、根本はどちらかの公式から導かれている気がする。
主義主張など、しっかりとした核となるものがあるのか。
自分の主観だけでものを言っているのか。
この違いにより、相手に与える印象が変わる。
ほとんどの人は、「利己」からくる気持ちを表現しようとする。
その気持ちは、誰にも「計算」できるものではない。
逆に、「利他」からくる気持ちの場合はどうなのだろう。
プロセスは違っても、行きつくところは同じだと思う。
ある意味、「計算」できるようにも思う。
人間の気持ちが、天体の運動のように、ある規則性を基にしたものであれば、「計算」できるような気がしている。
「エゴを根本にした気持ちではない。」という大前提が必要にはなるが。
主観なのか、客観なのか。
この違いが、計算できるできないを決めるのではないかと考えている。
この名言により、常識など、ある程度同じようなレベルの人との接点を心掛けて行こうと思わされた。
根本となる要素が近い人同士であれば、お互いに「計算」し合える関係を築けるような気がしている。
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