投稿日:2021年04月16日(金)
分解力
「人にものを教えることはできない。自ら気づく手助けができるだけだ。」
イタリアの天文学者 ガリレオの格言です。
学校教育を考えたとき、同じ指導者が、同じ内容を、同じスピードで教えているにも拘わらず、テストの結果は、同じではありません。
10人いれば、それぞれ結果が違います。
何もかもが同じ状況であれば、結果も同じになると考えるのは、間違ってはいないと思います。
が、全員が、100点を取ることは、かなり低い確率なのだと思います。
そうであれば、やはり、教わる側の問題になるのでしょう。
教わる側が、どのようなスタンスで指導を受けるかが、テストなどの結果を左右させるのでしょう。
セミナーなどの講演なども同じなのでしょう。
セミナー講師が、受講者に対して何かを教えることはできないのかもしれません。
受講者が、自ら気付くキッカケを探し出せるかが、重要な要素のように感じておりますが。。。
「人材育成」
最近、とても違和感のある単語。
人材は、育成するものなのだろうか。
誰かが、誰かを育成できるものなのだろうか。
どの企業も、人材獲得のために骨を折っている。
優秀な人材を獲得したいというのは、皆同じ気持ちだろう。
「優秀な人材」は、どのように優秀なのだろう。
どこかで、「人材育成」された人材なのだろうか。
逆に、どこかで、「育成」されなければ、優秀と言われるような人材にはなれないのだろうか。
優秀な「育成する側」の人材も存在するのだろうか。
育成する側も、同じく何処かで育成されてきており、何処かの段階で、育成する側になったのだろうか。
結局、本人の問題であると断言したい。
「誰かに何かを教わったことにより、成長できた。」
表向き、そのような表現を使ったとしても、実際は違うと思う。
本人が、「自ら気づく」べきことに気付くことができたからであると断言したい。
自分自身で気付けることも多々あるが、やはり、周りからの影響などにより、気付けることがある。
「○○さんに育ててもらった。」という表現は、正確には、「○○さんのお陰で気付くことができました。」という意味ではないだろうか。
この解釈が正しいのであれば、逆のアプローチを考えてみたい。
「本人が、自ら気づくことができた。」ことは、誰かが、何かを教えたからではない。
よって、「誰かが、何かを教えることはできない。」と考えた方が、無理がないと思う。
「人材育成」
とても響きの良い単語であると思う。
が、育成することはできないと考えている。
「育成」を意識して、力むことにより、「人材」が「人罪」になり得ると考えている。
逆に、「人材」が「人財」にもなり得るのかもしれないが。
この名言により、相手を変えようなどの自惚れは、間違っていることを再認識させられた気がする。
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