投稿日:2020年01月29日(水)
分解力
生まれた場所、育った場所、住んでいた場所。。。
「故郷」、「第二の故郷」などの表現により、色々な場所を「故郷」と思うことがあると思います。
僕の場合、生まれた場所は、住んでいたのが2歳までということもあり、ほとんど記憶がありません。。。
小学校時代、大学時代に旅行で出掛けた時に見た景色だけで、「故郷」と考えて良いのだろうか。。。という感じの場所です。
では、育った場所は。
その場所には、長く居過ぎました。
良い悪い両方の思い出がありますが、全く「故郷」という認識がありません。
出身はどちらですか?
という問いに対して、長く住んだ場所を出身地として答えます。
大都会に住んでいると、大都会出身者の多くは、「故郷」があることを羨ましく思うそうです。
そういう意味では、長く住んだ場所が、大都会ではなかったことを良いこととして捉えるべきなのかもしれません。
ただ、僕にとっての「故郷」は、生まれた場所でも、育った場所でも、長く住んだ場所でもなく。。。
もしかしたら、大学卒業後、5年間過ごした場所が、僕にとっての「故郷」なのかもしれません。
色々なことがありながら、全てが良い思い出です。
またあの場所に住みたいという気持ちも残っております。
10年以上帰っていない場所。何もかもが変わっているのかもしれませんが、また訪ねてみたいと思っております。
今、「望郷の念」にかられております。
ただ、それは、ニュージャージー州に対しての念ではありません。
何となく、、、「TOKYO」に対してのような気がしております。
生まれてもいない、育ってもいない、住んだこともない場所に対しての気持ちです。
明らかに、「故郷」という単語も、「望郷」という単語も誤りであると認識しておりますが、そんなことを思っていることに気が付きました。
「TOKYO」は、その場所その場所で、それぞれの雰囲気があります。
お陰様で、街を歩きながら、自分の好きな雰囲気、嫌いな雰囲気を何となく感じることができるようになってきている気がします。
「都心5区」は、やはり「ハイカラ」なイメージです。
残念ながら、現在の僕にはマッチしていない雰囲気かもしれません。
電車に乗っていて、街を歩いていて、レストランで食事をしていて、カフェでコーヒーを飲んでいて、心が穏やかに居られると感じる場所は、「城南地区」のように思います。
多分、城南地区北部を好んでいるような気がします。南部になると、また違った雰囲気が漂っているような気が。。。
「TOKYO」の先にある場所を見据えているのかもしれません。
「人間至る処青山有り」
まだ見たこと、住んだこと、想像すらしたことのない場所が、「TOKYO」の先にあり、その場所に対しての「望郷の念」なのかもしれません。。。