投稿日:2020年11月21日(土)
冒険力
「私は決して、失望などしない。どんな失敗も、新たな一歩となるからだ。」
アメリカの発明家 エジソンの格言です。
お陰様で、なのでしょうか?
毎日、大小問わず、様々な失敗を繰り返していると、失敗そのものに失望することが少なくなりました。
逆に、失敗することで、安心できたりもします。
「安心」という表現は、言葉の弊害がありますが、失望とは程遠い何かというニュアンスのような気がします。
失敗は、自分の問題点を提示してくれるものと解釈しております。
その問題点をクリアし続けていくことで、「失敗」ではない結果に導かれるような気がするのですが、「失敗ではない結果」が、「成功」かどうかは、わかりかねます。
何をもって「成功」なのかが定義されていない限り、わかりえないような気がしておりますが。。。
「現状維持バイアス」という単語が、行動経済学で使われている。
人間は、現状を維持したいという力が働き、アクションを起こすことを躊躇してしまう。
「損失回避性」の法則が、それを証明している。
何か新しいことを始めるとき、失敗した場合を想定してしまう。
失敗するのであれば、満足はしていないけど、現状のままで良いと考えてしまう。
よって、失敗はあり得ない。
「失敗のない人生」を「成功」と定義する人たちにとっては、幸せなことなのだろう。
が、そんな定義通りの人生を歩んでいる人たちに限って、他人のことを悪く言う。
他人とは、周りで成功している人たちのことなのだろう。
悪く言うくらいなら、自分もやってみては?と問いかけたところで、耳障りの良い「やらない理由」を並べてくる。
俗に言う「言い訳」を並べてくる。
周りで成功しているように見える人たちは、例外なく失敗を繰り返してきている。
もしくは、傍からは成功しているよう見えても、失敗を繰り返している最中かもしれない。
本人以外にはわからないことなのだが。
ときに、「失敗」とは、自尊心を気付つけるものなのかもしれない。
どんなに自信のない人でも、「自分はできる!!」と信じたいのが、人間だと思う。
失敗することで、「自分はできる!!」と信じられなくなるのではないかという恐怖も、失敗を回避しようとする理由のような気がする。
「自尊心を気付つけたくない。」
と考えると、何もできなくなるような気がする。
逆に、「自尊心」さえなければ、何でもできるような気がする。
自分を尊ぶ心とは、自分を失敗から守ろうとする心のようなに感じている。
「過ちて改めざる 是を過ちという」
失望する暇があるのなら、改めれば良いのではないだろうか。
それによって、新たな一歩になるのであれば、成功と解釈して良いのではないだろうか。
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