投稿日:2021年01月19日(火)
表顕力
「A man who dares to waste one hour of time has not discovered the value of life.」
「一時間の浪費をなんとも思わない人は、人生の価値を見出してない人だ。」
イギリスの自然科学者 チャールズ・ダーウィンの格言です。
この格言を理解するために、1時間を費やしました。
費やした1時間は、浪費なのでしょうか。
1時間かけて、何かを得ることができれば、その時間は、投資なのでしょうか。
こんな風に、どうでも良いことをダラダラと考えてしまう傾向があります。
これは、皆そうなのだと思います。
「時間の有効活用」方法の模索には、終わりがなく、今後も続いていくことなのでしょうが。。。
テレビを見ているとき、ふと我に返ることがある。
「今、テレビを見ている時間は、有効に活用されているのだろうか。」
そう思った瞬間、テレビを消して、今やるべきことをや始めることにしている。
逆に、テレビを見ている時間を有効に活用されていると感じることがある。
そのときは、そのままテレビを見続けている。
テレビを見ることの是非ではない。
自分の時間を有効に活用できているか否かだけを問題視している。
よって、傍からは無駄に見える時間の使い方が、必ずしも無駄ではない。
そもそも、傍から見えるものには、特段重要なものはない。
必然的に、「傍から見るとどんな風に映るのだろう。」と考える時間は、有効活用されていない時間となる。
仕事をしていて、時々感じることがある。
「少し時間をかけてゆっくりと片付けたい。」
もっともらしいことを思った瞬間、後から片付けるべくスケジュールを組む。
「ただの先延ばしだぁ。。。」
と気付くことができたとき、ゆっくり片付けるという感覚が消える。
「今、できるところだけを片付けよう。」
という気持ちで、始動する。
始めてしまえば、ゆっくり片付けるべきものではなかったことに気付く。
よくわからない言い訳じみた理由により、少しでも早く片付けるべきことを先延ばしにして、結果的に、色々なことに遅れが生じる。
「ビジネスでは、6ヶ月早くやっていれば良かったということはある。 しかし、6ヶ月先延ばしにすれば良かったということはまずない。」
アメリカの実業家 ジャック・ウェルチの格言。
これが、すべてを物語っているような気がする。
今、何かを思ったら、感じたら、とりあえず始める。
その習慣が、先延ばし癖を矯正してくれるような気がする。
「人生の価値を見出す」ためには、浪費を敵視しながら、時間の有効活用を意識し続けて行こうと思う。